己を尊ぶとは、ささげること ― 個と全がひとつに融ける境地
人は、「自分を大切にしよう」と言われると、
どこか自分を守るように構えてしまいます。
しかし、己を本当に尊ぶというのは、
守ることでも飾ることでもなく、
己という存在を世にささげることです。
己を尊ぶとは、「己の価値を信じきる」こと
己をささげるとは、
自分を軽んじて犠牲にすることではありません。
それは、
「自分という生命が、この世界に必要とされている」
という深い信頼に基づく行為です。
己を尊ぶとは、己の中の“天”を信じること。
その天を、行為を通して現すこと。
この信頼があって初めて、
人は自然に、ためらいなく自らを差し出せるようになります。
己をささげるところに、他者が生まれる
自分を差し出すと、
そこに初めて“他者”が現れます。
我を中心に生きている間、
他者は常に「関係する誰か」でしかありません。
しかし、己を空にし、
「この人のために」「世のために」と行為が動くとき、
その相手の存在は“世界そのもの”として立ち上がる。
己を尽くす行為の中に、
己と他の区別は消える。
その瞬間、
“人を尊ぶこと”と“己を尊ぶこと”が、
まったく同じ行為になるのです。
「一如の境」とは、愛と理が重なる場所
仏教では、これを「一如(いちにょ)」と呼びます。
天と地、己と他、内と外――
そのすべての区別が消え、ただ一つの働きとなる境地。
それは、
個が全に溶けることでも、消えることでもありません。
己を通して、全体が動くということです。
己が呼吸するとき、世界も呼吸している。
己が与えるとき、世界も満ちていく。
この“絶対の一如”に触れた人は、
もう誰かのために生きているとも、
自分のために生きているとも言えません。
ただ、生が生そのものとして働くのです。
己を差し出した人の静かな幸福
己を尊び、ささげる人は、
心の奥に静かな喜びを感じています。
それは報酬を求める喜びではなく、
「自分という存在が世界に役立っている」という実感。
この喜びは、誰かに与えられるものではありません。
内から滲み出る“生きている確かさ”です。
己を空にした者だけが、
己を本当に尊べる。
そしてその心の中に、
「絶対の幸福」――
言葉も理屈も超えた、
澄みきった満足が添うのです。
結び
己を尊ぶとは、己を閉じることではない。
己を他に向けて開くこと。
己を尊ぶ極(きわみ)は、己をささげることにある。
その瞬間、己と他、人と天、すべては一つになる。
この“一如”の境こそ、
人が到達しうる最高の静けさ、
そして最も深い幸福のかたち。
それは、
天に生かされ、地に支えられ、
ただ「生きること」そのものが祈りとなる境地なのです。