己を空しくするという完成 ― 無我に宿る真の幸福
多くの人は、「向上」「成功」「幸福」という言葉を聞くと、
自分を大きくしようとします。
もっと成績を上げたい、
もっと評価されたい、
もっと豊かになりたい――。
けれど、真の向上とは、
自分を膨らませることではなく、自分を澄ませること。
己を空しくしたとき、初めて“満ちる”のです。
「空しくする」とは、何も失うことではない
“己を空しくする”と聞くと、
自分を犠牲にするような印象を持つかもしれません。
しかし、それは我(エゴ)を手放すという意味です。
我を張ると、心はいつも緊張しています。
“自分を守らねば”という意識が、
他人や世界との分断を生み出してしまう。
けれど、我を手放し、
「自分を通して世界が働く」という感覚に切り替わると、
すべてが自然に流れ始めます。
己を空しくするとは、
自分をなくすことではなく、世界とひとつになること。
「身をささげる」とは、命の流れに身を委ねること
“身をささげる”とは、
何か特別な奉仕や犠牲を意味するのではありません。
それは、今この瞬間に全力で生きるということです。
・仕事を誠実にこなす
・誰かを思って行動する
・小さなことを丁寧に行う
そうした日々の積み重ねの中にこそ、
“己をささげる”という行為が宿ります。
己を燃やし尽くすように働くとき、
心は静かに満たされていく。
それが「天翔」のいう“奉仕の幸福”です。
「空しくなる」と「満たされる」は同時に起こる
執着を捨てると、心に空白が生まれます。
その空白に、光のように幸福が差し込んでくる。
逆に、
「自分が」「自分の」「自分だけ」と掴もうとするほど、
手の中は不思議と空っぽになる。
真の満足とは、
何かを手に入れた結果ではなく、
“何も求めなくても満ちている”という状態。
それは静かで、温かく、動じない幸福。
誰かに奪われることも、失われることもありません。
己を空しくした者だけが、真の自由を得る
我にとらわれている限り、人は常に不安を抱えます。
“うまくいかなければどうしよう”
“失敗したら終わりだ”
しかし、己を空しくし、
ただ「今できること」に身を投じると、
恐れは自然に消えていく。
そこには、純粋な自由があります。
誰かに勝つためでもなく、
評価されるためでもなく、
ただ“生命としての自分”をまっすぐ生きる自由。
己を空しくした人だけが、
本当の意味で自分を生きているのです。
結び
向上とは、積み上げることではなく、
削ぎ落とすこと。
躍進とは、前に出ることではなく、
余分な力を抜いて自然に動くこと。
完成とは、到達ではなく、
「我」が静かに消えて、世界と調和すること。
己を空しくするとき、幸福はそっと添う。
それが、人生の“完成の姿”なのです。